選択と集中を繰り返して。たどり着いた到達点とスタート地点


2015年の7月より、内定先であるヴォラーレ株式会社のフィリピン・セブオフィス立ち上げへの派遣・出向??が決まりました。まだ自分は内定者の身であり、大学にも通っている身ではありますが、2015年の残り半分のほとんどはフィリピンで過ごすことになりそうです。
3ヶ月前にインドでの留学から帰国して、大学の年度もまだ1年弱を残していますが、卒業前からこれまで以上に海外での活動の幅を広げることができそうです。最近やっと日本での生活も落ち着いてきたので、今の自分の思考の備忘録も兼ねて、ブログにまとめておこうと思います。

挑戦心を維持し続けることの難しさ

昨年の今頃と、今の自分の生活を比べると大きく変わった点が一つあります。時間と心に余裕ができ、物事に対する焦りがなくなってきたことです。それは自分が目指すべき目標が見つかったこともそうだし、インドで様々な刺激ある生活を送っていたからということもそうだし、何より自分の未来に対する不安がなくなったことが大きいです。

昨年の自分は先の見えない不安から、目の前にあるチャンスには全て飛びつき、とりあえずやれることは全部やる、そんな心持ちで毎日を生きていました。その結果、気づいた時にはインターンの掛け持ち、学校のゼミ活動、インド留学への準備など、あらゆることが中途半端な状態になり、自分自身のエネルギーだけが浪費される毎日を繰り返していました。サッカーで言えばボールを持ったら全部シュート。ハーフラインだろうと、ペナルティエリアだろうと、場所に構わずシュートを打ち続けているような感覚です。

もちろんそのような状態は上手くいくわけもなく、気づいた時にはシュートを打つ体力すらも無くなっていました。結果を求めてシュートに対する意識を強くもつことはいいことですが、キック力もない、体力もない状態でシュートを打ち続けていても、体力を浪費するだけで絶対にゴールを奪うことはできません。

しかし世の中の勝負というのは、その一回限りで終わるケースはほとんどありません。サッカーで言えば年間のリーグ戦が続きますし、仕事でも年間や月次の売り上げ目標等、小さな毎日の積み重ねの先に大きな成果があると思います。それを目先のたった一試合の一点をとることだけに執着していては、短期的な結果は得られても、大きな成果にまで繋げていくことは絶対にできません。

勝負どころの見極めができるようになるということ

超一流になれる選手は違います。

彼らは絶対に「今はダメだ」「自分が間違っている」とは考えません。なぜなら「もっと努力しなければダメだ」は、これまでの自分を否定することになるからです。彼らは、結果に振り回されて、ペースを乱すよりも、継続することを大切にしているのです。

(東洋経済:超一流は、結果が出なくても「頑張らない」より)

2ヶ月前にACミランのメディカルコーチを務める遠藤氏が書いたこの記事は、今の自分が考えていることにピタリと当てはまりました。
成功には必ず通るべきステップがあります。それを飛び越えて、そのときの運だけで大きな成果を上げることは、宝くじを当てることと何も変わりません。だからこそこの記事にあるように本田のような超一流と呼ばれる人は、毎日コツコツ積み重ねることを何よりも大事にしています。

そういう意味で、勝負どころを見極めるために必要なのは、選択と集中の技術に集約されていくと思います。自分の内定先のようにベンチャー企業やスタートアップと呼ばれる界隈にいると、中には365日24時間まったく休みを取らずに働き続ける人がいます。しかし、「それを40年間変えずに続けられますか?」と聞いたときに「イエス」と答えられる人はほとんどいないと思います。

自分はインドで生活をしている中でこの感覚が身につきました。インドにいると、道が舗装されていないから危ないし、浮浪者もたくさんいるし、本当に何があるかわからないので、外では常に気を張っています。しかしそのような状態を、屋外にいる間ずっと維持し続けることは決して楽ではありません。そのため気を落ち着かせる時間を作れず、消えることのない疲労感に悩まされ、気づいたときには10日近く寝込んだこともありました。

そんな環境の中で身についたのは、自分のオンオフをはっきりと区切り、選択と集中を限りなく無意識に近い状態で行うということです。

インドは必ずしも治安の悪い場所ではありませんが、中には危険な場所も多数あります。所得の低い人が集まる場所や、電気のない裏路地、野犬が多い通り、スリが起きやすいショッピングモールや空港など、自分が注意をするべきタイミングは必ずと言っていいほど決まっています。その状況を見極め、そこで自分の注意力のオンオフを明確に切り替えること。それは今日本に帰ってきて、大きな流れの中で自分が勝負するべきポイントを見極める感覚に非常に似ているのではないかと思っています。

成功後のイメージを強く持つ

上記のような勝負どころに対する勘を磨くには、成功後のイメージを具体的に描ける想像力が、非常に大事な要素になると思います。成功後のイメージなんて狸の皮算用で、今目の前のことに全力で取り組むことの方が大事だという人は少なくないはずです。しかし、その考え方を持つ限り、自分を上のステージやレイヤーに引き上げることはいつまでもできません。

成功後のイメージを持つことは、今自分に足りていないことを知り、それに対する適切な対応策、ステップを考えることにつながります。自分が目指すべき姿と、現状の自分との大きな溝。それがどこにあり、何をすれば、その溝を越えられるのかを常にイメージして考えることで、現実は理想に近づいていきます。

例えば来月から自分が行く、セブでのオフィス立ち上げもヴォラーレの壮大な計画の一端にしかすぎません。自分が求められているのは、フィリピンでの成功ではなく、その成功を通じて一つの型を自分の中に身につけ、それを世界中他言語で同じモデルを同時展開していくことにあります。それを見据えて、自分は今やっていることを単なるタスクとしてではなく、世界中のこれから増える仲間に伝え、それを組織の形にまで昇華させていかなければなりません。

そして、このように、踏むべきステップ、自分がやるべきことが見えていると、その勝負がくる前に十分な準備をすることができます。サッカーの試合前に繰り返しシュート練習をしたり、仕事の営業前に相手の情報を徹底的にリサーチしたり、会食前にその日の話題を想像してネタを仕入れておいたり、何か物事が起こる前の準備は、その事象の結果を9割以上決定づけるのではないかと思います。

自分の人生の主人公は誰?

自分は今でも「なんで起業しないの?」と言われることがあります。そんなに学生のうちから色々やっていたら、自分で何か始めることが当たり前みたいなことを思うのは確かに一般的です。でも自分は自分で会社を作ることよりも、所属するヴォラーレという組織を圧倒的に大きくすることでも、自分が主人公になることは十分にできると思っています。

確かに社会から会社という枠組みを見たとき、主人公は間違いなくその会社の社長です。でも、ものの見方はそれだけではありません。サッカーで必ずしもストライカーだけがMVPにならないように、paypalの創業メンバーから多くの世界的起業家が輩出されたように、ワンピースでルフィの仲間一人一人に目標があるように、誰にだって主人公になる機会はあるはずです。

「俺が勝たせる」

これは昨日社内で発表された新しいバリュー(社訓やクレドとほぼ同義)なのですが、この言葉が意味するように、自分がどのような状況に置かれたとしても、それを自分ごととして捉えられる人は、必ず自分の人生で自分を主人公にできます。でも、多くの人はそれをしようとはしません。それは誰かに依存していた方が、楽に人生を送れるからです。人間誰だって楽はしたいものです。でもそうやって自分の苦労を避けている間は、どこまでいっても結局、脇役にしかなりません。

自分はこの会社に入ることを決めた時点で、自分が海外の最前線に立ち、この会社を世界で成功させるのは自分であり、会社よりも自分の方が圧倒的速度で成長しようと心に決めていました。だからこそ、昨日の全社会議で代表から「外山がもう日本に帰ってくることはない」と言われることは、会社の最前線に立ち、自分自信で次の未来を切り拓くチャンスを得るという意味で、とても嬉しい言葉でした。笑

たどり着いた到達点とスタート地点

社員数100名を越え、近年中の上場を視野に入れつつ、本気で1兆円価値の企業を目指す組織の中で、今回、そしてこれから自分に求められる期待値は、おそらく普通じゃありえません。まだ入社すらしていない身でありながら、この組織の今後において、最も重要な場所に自分は立っています。そしてそれは、ヴォラーレという組織の1メンバーという立ち位置には留まりません。

あっているかどうかは別として、今の自分は日本にいる同世代の先頭集団の中に少なからず入っていると自覚しています。というよりも、もし自分がそうではなかったとしても、これから自分が挑戦しようとしているステージは、それぐらいの自覚を自分に持たせなければやっていけない場所です。

海外に行くと、どれだけ日本という国の価値が下がってきているのかを感じずにはいられません。中国では日本の中流階級以上の暮らしをする人が2億人を越えて、インドでは新卒で年収1000万レベルのオファーを受ける学生が、毎年何100人という単位で出てきています。一方で海外で地に足を付け、貪欲に彼らと競争しようとする日本人は本当にごくごくわずかしかいません。別に同世代の誰もが頂点を目指す必要はないと思いますが、少なくともそういう可能性や才能を持った人には、世界で戦うための自覚や意志を持つ必要があるのかなと思っています。

そして、そういう人たちに何よりも持ってもらいたいのが、日本人としてのアイデンティティです。海外に行くと、当たり前のように他国の人に暴言を吐いたり、他国の人々に対して失礼な振る舞いをする日本人が少なくありません。しかし、そんな軽い意志で世界の人々と接しようとしていては、絶対に気持ちの面で負けてしまいます。フィリピン人にしても、インド人にしても、彼らは国に対して強い誇りを持ち、それを行動に明確に表しています。そしてそれは優秀な人になればなるほど顕著に見られる傾向です。

自分がこの国を変える、自分がこの国のトップとして世界で活躍する。世界で本当に優秀な人材は自分のコミュニティや、自分が育った環境に対する帰属意識を強く持っています。だからこそ芯が絶対にぶれないし、どんな状況に陥っても自分の考えや行動を貫き通すことができます。

日本人は特にこの帰属意識や、それを自分の「誇り」として貫き通せるだけの意志が弱い傾向にあるのかなと感じます。日本人には世界でも稀に見る、礼儀作法や規律の考え方があります。それは日本古来からある武道や、企業の組織力なんかにも表れています。でも、そんな日本の文化や考え方を理解して、それを仕事の実務にまで落とし込めている人は本当にごくごくわずかなのではないかなと思います。

「逆張り」を恐れない

日本で言われているグローバル化ほど陳腐なものはありません。日本の大学は世界で遅れている。だから教育に改革が必要だ。今の日本人学生はゆとり世代で内気で海外にでたがらない。だから英語もできる人材が少ない。日本の企業は海外の真似ばかり。だから世界では通用しない。

実はこれってすごい偏った見方でしかないし、こんな正解ばかり求める議論ほど無駄なことはないなと思います。

確かに世界で見れば日本の大学なんて東大ぐらいしか名前は通じません。日本人で海外に留学する学生の数は減ってるし、一般的に日本人は英語に苦手意識を持ちがち、ベンチャー企業の大半は海外に出て一年もしないうちに撤退をします。

でもこの事実が一体なんの意味を持つのでしょうか。

自分にはできない言い訳を並べて、目の前の問題を先送りしているようにしか思えません。昨日、絶対に無理と言われたフィリピンでの法人登記が一ヶ月と経たずに完了しました。誰に聞いても、最低2ヶ月以上はかかるから絶対に無理の一点張りだったことを、ヴォラーレのメンバーの人たちは軽々と覆してしまいました。世の中に出回っている常識なんて所詮そんなものです。

裏を返せば、前述した日本のグローバル化も非常に画一的な常識でしかありません。海外で東大しか名前が通じないなら、自分が有名になって早稲田大学の名前を世界に知らせればいい。日本人学生が海外にでたがらないなら、海外で日本と同じような生活をおくれる場所を作ればいい。世界で日本の企業が通用しないというなら、自分で世界的企業を作ればいい。そうやって自分自信で行動をして、事実を確かめない限り、その知識には何の意味もありません。

結局、最後は自分自身をどこまで強く信じきれるかだと思います。誰になんと言われようと、どんなことがあろうとぶれない強い意志を持つこと。それが世界で戦っていく上で本当に大事なことだと思えるようになりました。だからこそ今は自分に迷いもないですし、目の前の現実に恐れずに立ち向かう準備ができ、自分の人生のスタート地点にやっと立てたという気分です。

おそらくですが、これからの20代で自分が日本にいる時間はほとんどないと思います。今の自分の求める目標には、日本という環境だけではどうしても足りないものがたくさんあります。海外の最前線に立ち、そこで自分の肌で感じることでしか得られないことがたくさんあります。自分がどこまで海外でやりきれるのか、どこまで自分の掲げる目標に近づき、自分を信じきれるのか。その限界を超えられるように、もう一度原点に立ち返り、一歩ずつ前進して行こうと思います。

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